々もこの店の一員と、ビールとビーノ(ワイン)をあおりつ耳ともいい気分になってきたころ、表のドアから寒くもないのによれよれのビーコートを羽織りちょっと脚の悪そうな、しかしがっしりとした体つきの背の高い老人が入ってきた。
彼は迷わず店の奥の階段脇にある1人しか座れない丸テーブルに座った。するとすぐマスターがグラスに入った酒(この場合シェリー酒かラム酒と相場は決まっている)と料理を、オーダーも聞かずしかし丁寧に運んで行った。いかにも、というその風情、我々は呆気に取られ彼を見つめた。まるで映画に出てきそうな、正に「キャプテン」だ。この場合彼がどこの国で生まれたかなどということはどうでもいい、7つの海を命をかけ渡り歩いた人間だけが持つ雰囲気を彼は持っていた。私は色々想像を巡らせたが、彼は軍艦や貨物船の船長ではないだろう、「白鯨」のエイハブ船長のような、鯨を追って世界を駆けめぐる捕鯨船乗りなんがが一番似合ってそうだ。きっと世界中の港でバルパライソが彼は一番気に入ったに違いない。ここなら長居は無用の「おか」でも落ちつける場所だったのだろう。
その後我々が帰る時、マスターがそっと彼を指さし「挨拶して帰れ」と教えてくれた。マスターが我々の紹介をしてくれると彼は立ち上がり素敵な笑顔とともに、しかし一言も言葉はなく、私たち1人1人と握手をしてくれた。ああ、ここは港町だ。私は心地いい余韻と共に店を出た。しかし今考えると彼は私の想像とおりの「キャプテン」だったのか、あの雰囲気はただ者ではなかったが、本当は裏の肉屋かパン屋の親父だったかもしれない。言葉の不自由な我々にとって南米の港町バルパライソには、最高にいい思い出だけが残っている。
もう1つ港町の話題、国内の港での出来事。駿河湾での調査の途中、我々の母船「よこすか」は定番の清水港に入港した。いつものとおり船の仲間とネオンの輝く盛り場に出ていった私は、久しぶりの「おか」を満喫していた。何軒目かのスナックのカウンターで店の女の子とたわいないことを話していた私たちは、何かの拍子に職業を聞かれたことから「しんかい6500」に話題が移っていった。海の男たち特有の法螺話でカウンター付近が盛
図-1 南米チリ、バルパライソのパブ「ハンブルク」の来店記念証
写真-4 MODE'94で南米チリ、バルパライソの港に停泊中の「よこすか」
写真-5 神戸、函館のように坂の多いバルパライソの街
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